心の治療中

真の問題は何かを見つめるための覚書

一人旅のすすめ

今日は旅のことを書いてみようと思います。

 

今も旅の真最中だから・・・。

 

心の師匠と出会った頃、勧められたことのひとつに一人旅があります。

 

とにかく言われたことはやってみようという若さゆえの素直さから、勇気を出して旅に出ました。

 

そんなに遠くに何泊も一人でお出かけすることへの不安、両親からどう思われるかを考えるときのキュッと胸を締め付けられるような不快感を今も覚えています。

 

初めての旅先は、長野県の山奥の戸隠村

 

見たこともないほどの雪の量、一面の幻想的な雪景色。

 

最初に一人旅をした地はやはり思い出深く、人生に、自分の気持ちに躓くたびに今も訪れます。

 

昼間でも雲が厚く薄暗い中で、しんしんと降る雪、その静けさに静かに静かに感動が訪れていました。

 

両親との旅行では、計画をしっかり立て、観光地を無駄なく回り、お金をかけた以上意義のある旅(成功)にしなければならないという雰囲気があります。

 

そんな旅行しかしたことがなかったのに、どこへも行かず、宿でぼーっと窓の外のぽっぽっと積もりゆく雪をただ眺めている。

 

何をするよりもとてもとても贅沢な時間で嬉しくなったことを覚えています。

 

心の師匠の意図としては、一人旅をすることで、家族から物理的に離れて間(ま)が訪れ気づきの機会がもたらされること、両親が知らない世界や感覚をもてること、そのためだったのではないかと今は感じています。

 

初めての一人旅で感じたことを両親は何一つ知りません。

 

この戸隠への旅を皮切りに、神社と自然と温泉を起点として、年間、相当数の旅に出るようになりましたが、それぞれの旅でふと感じることは誰かや何かに影響されたものではなく、本当に自分の中からわきあがってくるものであり、そうしたものは印象深く、記録になどしなくても明確に蘇ります。

 

そうしたひとつひとつが私にとってとても大切なもののようなのです。

 

だからつい旅に出たくなってしまうのかもしれません。

 

家族関係や親子関係の問題、それは他者との関係性や仕事での問題などにも密接に関わりますが、これまでのやり方をいきなり変えたり、振り返ることは難しいこともあります。

 

特にご両親と気づかないうちに精神的癒着状態に陥っていたり、母親との精神的へその緒が切れていないときには特に。

 

(上記は言葉がきつくなっていますが、それが心地よいのであればいいのですし、分離することに罪悪感があるのも当然です。私自身も罪悪感には自分自身に手を焼いています。)

 

そんなときには、物理的距離を一旦とる、つまり緊急避難することで俯瞰するための間を持つという手立てもあると私は考えているのですが、一人暮らしが難しければ、一人旅から始めることを私は推奨したいです。

 

私は、アダルトチルドレンであり、認知の歪みも大きく、予測不能なことは怖く、また白黒思考でもあります。

 

そんな人間が旅に行くとなると、しっかり準備と計画を立てて不安を少しでも減らして・・・となってしまいます。

 

でも私は旅に関しては、普段の生活でやっていること(計画をがちがちに立てる、成功失敗と判断する、意義や意味を求めて無目的を楽しめない)だけはやめよう、旅という非日常を使って楽しみながらその練習をしようということだけは意図しています。

 

無目的な時間を自分を裁くことなく味わうこと、観光よりもその土地に住むようにゆっくりと過ごしてみる贅沢、気づけばこれがとても好きになっていたり、旅のスタイルにいつの間にかなっていました。

 

成功失敗という判断から自由であること、無目的な中や計画を立てない予測不能な中でも安心していられること、これは旅に限った話ではないと思うのです。