心の治療中

真の問題は何かを見つめるための覚書

イライラの日

本日は排卵日。

そして3連休明けで地獄のように忙しい日。

更に次から次に問題も勃発。

 

苛々や怒り爆発の危機日。

 

私の場合は、排卵から月経がくるまでがPMS期で、気持ちがジェットコースターになってしまいます。

 

現在は、漢方薬を常時服用、危険日に使用できる頓服の西洋薬(パニック障害にも使用されるもの)、更に、大嶋信頼さんの遺伝子コードを唱える(GNRH1の還元×7回)を外的なものとして試し中ですが、効果が出るにはまだまだ時間を要しそうです。

 

頓服薬を使用して気持ちのジェットコースターを抑え、その隙に自分の苛々や怒りのパターンに気づく・見ていくということに取り組んでいます。

 

怒りのパターンを見ていくと、根柢に不安があり、安心を得るために、怒りによって他者や状況をコントロールするということが起こっているように感じられます。

 

つまり、怒りの表明によってコントロールすることで安心が得られるという錯覚があり、それを選択し、瞬時に怒りを出してしまっているようです。

 

観察していると、怒りは瞬時に起こり、一歩タイミングが遅れて起こっていることに気づくという段階にいます。

 

仕事で、自分の仕事の一部をしてくださるスタッフがいるのですが、その中のお一人がいつも要点がずれて話すと時間がかかり、多忙極まりないときには話しかけられるとどうしても苛々してひどい態度をとってしまうことが多くなってしまいます。

 

今日もまさにそんな日で、でも、一瞬怒りの表明でコントロールしそうになりながらも、その怒りやイライラは本当?(バイロン・ケイティの問いかけ)と浮かび、怒りでコントロールしたいの?と浮かんできて、しゅっと抑えることができました。

 

そうすると、怒りで視野が狭くなっていて見えなくなっていたものが見えてきて、その方の一生懸命伝えようとか気遣おうとされている部分がふっと見えてきて、怒りでコントロールしなくてよかった、こうやってわだかまりなく終われるってあたたかいものだなと心の奥底から感じている自分がいました。

 

怒りや不満を表現して、仮にコントロールに成功しても、また失敗しても、ものすごく後味の悪い思いや恥ずかしい気持ちでほんとはいっぱいなんです。

 

私の場合は、怒りのパターンが発動される根柢の不安は、仕事においては、今日中に仕事が終わらないかもしれないという不安、こんな量絶対に無理という仕事から攻撃されている気持ち、仕事量がどんどん増えたら怖いというようなものが主なところです。

 

怒りを出してしまったときを振り返ったり、一つ一つの出来事をよく見ていくと、本当はその不安というものは的中することはなく、いつも大概は何とか収束していき(当日中に何とかならなくても必ず波は満ち引きがある)、不安は実態のないものだったことがわかります。

 

それでもその不安を信じ、怒りでコントロールすることで安心を得られるはずという信念を選択する限り、何度でも何度でも同じことの繰り返しです。

 

今日のことは小さな小さな出来事ですが、私にとっては光に思え、怒りを外に出してしまうパターンを少しずつでも選択しない、被害者意識からぬけでよう、そんな固い決意が心の中に湧きおこっています。

 

追記:

薬についての考察。

今日は朝から仕事が不安(3連休明けの多忙と問題まみれを予見していたため)で、西洋の頓服を飲もうか迷ったり、不安から頓服薬に手を伸ばしそうになりました。

私の体感だと、本当に半ばパニック状態の不安や怒りの興奮時は西洋薬が一時的にとても助けになる感じがしますが、本当は興奮がさほど行っていないけれども不安回避で飲んでしまったという時は副作用が半端なく出て辛い感じになる気がしています。

不安に溺れずに直観を信じること(その時に薬が必要か不要か)も大切だなと感じています。