心の治療中

真の問題は何かを見つめるための覚書

薬の力も時には必要

突然爆発してしまう怒りや、月経前の消えたい願望と鬱状態と止まらない涙や怒りについて、カウンセラーより何ヶ月、いやあるいは何年も心のアプローチだけではなく、薬で外側からもアプローチするよう言われ続けてきました。

 

発達障害の可能性も示唆され(これについては勇気が出ず検査を受けていませんが、両親の特徴的な部分を鑑みると遺伝的に可能性大です)、コンサータを試した人が、世界がこんなにも穏やかなんてと表現しているという話も聞いていました。

 

それでも、なかなか自分の普通でない部分というのを認めることが難しく、自分は大丈夫、自分は普通、爆発してしまったのはちょっと失敗してしまっただけで次は大丈夫、と病院への足は遠のくばかりでした。

 

カウンセラーからよく伝えられていたのは、心の面であれ身体の面であれ不調が表れているのは必要があってなのだよ、私たちの都合で邪魔だと邪険にするのではなく、表れていることを許しなさい、起こることを起こるがままにしておきなさい、そして、その奥にある原因を見つめなさい(お手紙を読み解きなさい)ということです。

 

根本的な原因(ここではあらゆることが心/信念体系が作りだしているという考え方を採用しています)を紐解いていかない限り、いくら病気が治っても何度でも同じことを繰り返すし、何度でも同じ問題は起こります。

 

それでは、どうして薬の力も借りることが時に有効なのでしょうか。

 

薬は、一時的にでも症状から解放され、心を見つめて真の原因へのアプローチに取り組むゆとり、間(ま)ができる助けの一つとなるからです。

 

燃え盛る火事の中では身動きできません。

一旦は火の粉を消すことが最優先となります。

 

「心を見ていくこと」は脅えて心身共に硬直した状態では難しく、安心してくつろいだ時に初めて物事を自分の狭量な解釈から離れて俯瞰できます。

 

もう一つは、薬で高ぶった感情が静まったり、鬱状態から少しでも浮上できたりすることは、社会生活を営む手段として非常に役に立ちます。

 

例えば私の場合は、些細なことから怒りが頂点にいって抑えられなかったり、逆に鬱状態で動けなかったりということがしばしば起こる問題です。

 

繰り返される怒りやうつ状態でどうしても出社できなくて突発的休みを繰り返すことは会社においてもプライベートにおいても信頼を失います。

 

一度失ったものを回復することはとてもとても難しいことです。

 

私は何度も自暴自棄に陥り、それなら一人きりで生きていくからいいと強がってきましたが、自分が寂しいからということよりも、何度も何度もこんな自分に手を差し伸べ続けてくれた人たち、一緒にいたくなくても仕方なく会社で共に働いてくれている人たちなどに対して、不快な思いをさせたり、関係性を断絶させたり、信頼を失ってしまったことがとてもとても苦しく感じています。

 

それを回避するための緊急手段として、例え根本的解決でなくても、もっと早く病院を色々探せばよかったと今は思っています。

 

このブログに出てくるカウンセラーとの間において、人間としての信頼関係を失ったとき、とにかく何とかしなければと思い、それでもそこから5ヶ月もかかってようやくよさそうな心療内科を訪れることができました。

 

心療内科と漢方専門の病院で、メインを漢方にしてもらい、その他に必要最低限で、興奮を抑えるときに1日2回までの依存性のない頓服を処方してもらって続けています。

 

私としては効果を期待していなかったのですが、不機嫌そうな日や怒りが弾けそうな時に緊急的に頓服を何度か服用してみて、怒りが頂点までいくのを何度も回避することで、例え怒りや感情の振れがあったとしても、振れ幅がなだらかになって上手にやり過ごせているということを感じています。

 

自分の努力だけで何とかしよう→何ともならず失敗の繰り返しでしたが、薬のお陰で驚くほど穏やかであれることが増えています。

 

ただ、これだけ効き目があるということはどこか脳に無理に働きかけていることでもありますし、副作用として飲んでしばらくはふらつくので、緊急手段としか考えていません。

 

この穏やかに過ごせている間(ま)を利用して、怒りの真の原因や、怒りによって何をしようとしているのかを見つめていきたいと思います。

 

私自身はとても病院が苦手なのですが、精神科・心療内科は的確に薬を出してもらうところ、カウンセリングは自分の心をじっくり見つめ、本来の自分を取り戻して自由に生きられるようになるための時間と、使い分けていくとよいのかなと考えています。